フェミニズム リンク集
フェミニズム(英: Feminism)は、女性の権利を男性のそれと同じにしようとする思想・運動、女性の権利を拡張しようとする思想・運動、性差別に反対し女性の解放を主張する思想・運動などの総称。男女同権運動との関わりが深い。フェミニズムは、近年、リベラル・フェミニズムと、ラディカル・フェミニズムとが対立している。フェミニズムの思想は多様であり、一本の思想と考えることはできない。
近代に入ると、1792年にメアリ・ウルストンクラフトが、フェミニズム運動の先駆ともいえる『女性の権利の擁護』を執筆した。
19世紀になると、女性の権利を求める運動が組織化された。多くの場合は、これ以降の動きを指してフェミニズムと呼ぶ。
フェミニズムは19世紀の運動や文化に大きく影響を与えた。19世紀後半から20世紀、特に第一次世界大戦の間に、多くの国で女性の参政権が認められた。ニュージーランドでは、婦人参政権論者ケイト・シェパードの助けによって、1893年に最も早く女性参政権が認められている(なお、アメリカで認められたのは1920年、また日本では1945年である)。
この時期のフェミニストとしてはヴァージニア・ウルフやジークムント・フロイトが取り上げた患者「アンナ・O」ことベルタ・パッペンハイムなどが知られる。
歴史上、フェミニストと名乗る女性は数多く存在する。フェミニズムの起源は18世紀のフランスに遡る。1789年にフランス革命によりフランス人権宣言が採決されたが、その権利を男性にのみ与えていることを問題視した女性が抗議運動を行い、欧州各地で女性の権利を求める運動が定着した。これがフェミニズムの誕生である。91年『人権宣言』に対抗しオランプ・ド・グージュが『女性及び女性市民の権利宣言』を発表している。代表的なフェミニズム作家メアリ・ウルストンクラフトが『女性の権利の擁護 』を執筆したのはこの翌年である[1]。こうした運動は反フェミニズムの反対を受けるが、徐々にヨーロッパ中に浸透していく事となる。
18世紀以前は一部の上流階級を除いて、女性は男性と等しく農作業・商・手工業などの労働に就いていたが(戦後の高度経済成長期の日本の地方では、都会で専業主婦が広まってからも女性が農業や漁業などの労働に従事していたように)、産業革命の影響で労働に就いていた中流、下流階級の女性は専業主婦となる事が多かった。20世紀には「結婚して子供を持つ郊外住宅の主婦」が女性の憧れの的とされた。この背景には戦中に若い男性がいない為に工場で労働に従事していた女性を家庭に入れようとするアメリカ政府のプロパガンダがあった[2]。日本も例外ではなく、戦中は男性不足のため若い女性は工場で軍需産業などの労働に就いていたが、戦後はアメリカ型の専業主婦となることが幸福と思う者が、特に日本女性には多かった。しかし、家庭に戻った女性の中には結婚し子供を育てるだけの人生に不満を持つ者もいた。レズビアン・フェミニストの1人である ベティ・フリーダンは『女らしさの神話』の中で当時の女性の心境を語っている。
郊外住宅の主婦、これは若いアメリカの女性が夢に見る姿であり、また、世界中の女性がうらやんでいる姿だといわれている。 しかし、郊外住宅の主婦たちは、密かに悩みと戦っていた。ベッドを片付け、買い物に出かけ、子供の世話をして、 1日が終わって夫の傍らに身を横たえたとき、『これだけの生活?』と自分に問うのを怖がっていた。
1960年代からウーマン・リブ運動が世界中に広まり、ニューヨークなど各地で数十万規模のデモが発生した。この運動により後に多くの国で女性の労働の自由が認められるようになった[3]。これを境にフェミニズムは殆どの国で政治、文化、宗教、医療といったあらゆる分野で取り入れられるようになる。
このウーマン・リブは女性を拘束しているとする家族や男女の性別役割分担、つくられた「女らしさ」、更にはこの上に位置する政治・経済・社会・文化の総体を批判の対象にしていた。 日本でも1970年代に各地でウーマン・リブの集会が開かれ運動の拠点も作られた。またこの頃、ピル解禁を要求する「中ピ連」が結成された。
ウーマン・リブ運動の高揚を受けた国際連合は、1972年の第27回国連総会で1975年を国際婦人年と決議し、メキシコで国際婦人年世界会議(1975年)を開催して「世界行動計画」を発表した。続いてコペンハーゲン会議(1980年)、ナイロビ会議(1985年)、北京会議(1995年)などが開催された。
日本では国際婦人年を契機として様々な組織が生まれ、婦人差別撤廃条約の批准や国内法の整備を求める運動へと加速した。
第一波 [編集]
18世紀から20世紀初頭の、近代国家における投票権や参政権のほか就労の権利や財産権などの法的な権利の獲得にかかわる闘争を指す。
第二波 [編集]
20世紀初頭から1970年代ぐらいにアメリカを主にしておこった運動で単なる働く権利ではなく職場における平等、男子有名大学などへの入学の権利、中絶合法化、ポジティブアクションなど市民権運動の一環として行われた女権運動を指す。一部の識者はこの運動を持ってフェミニズムの役割は終了、以後の第三波には批判的な見解を示すものがいる。また第三波これら批判をバックラッシュとして批判している。
第三波 [編集]
1970年以降のフェミニズムで様様な思想が存在するため以前のフェミニズムとちがい一括りに述べがたい側面がある。排除的な定義としていえるのは以前の女権活動によって法あるいは制度上の明確な差別が撤廃されたためその活動の焦点が大学の社会学系の学部中心の文化的啓蒙活動および女子優遇政策による強制的結果の平等を要求する運動に変遷したことである。さらに男女の真の平等が達成されるためには社会のジェンダー観、つまり社会的、文化的に構築される性が改革されなければならないとの主張などが見られたのもこのときである。この考え方は数十年遅れて多少修正された形で日本に輸入された。
リベラル・フェミニズム [編集]
1970年代に広まり、主流派となったフェミニズム。一般に個人主義的・自由主義的傾向を持つ。男女平等は法的手段を通して実現可能で、集団としての男性と闘う必要はないと主張する。ジェンダー・ステレオタイプ、女性蔑視のほか、女性の仕事に対する低賃金、妊娠中絶に関する制限などを男女不平等の原因と考える。詳しくはリベラル・フェミニズムの項を参照。
* 1791年、「女性と市民の権利宣言」(オランプ・ド・グージュ)
* 1792年、『女性の権利の擁護』(メアリ・ウルストンクラフト)
* 1869年、『女性の隷従』(ジョン・スチュアート・ミル)
* 2007年、『ポルノグラフィ防衛論』(ナディーン・ストロッセン)
マルクス主義フェミニズム [編集]
資本主義が女性を抑圧する原因だと考える。資本制的生産様式では男女不平等は決定しているとみなし、女性を解放する方法として資本主義の解体に焦点を合わせる。詳しくはマルクス主義を参照。
* 1972年、『家事労働に賃金を』(マリア・ダラ・コスタ)
* 1984年、「シャドウ・ワークか家事労働か」(クラウディア・フォン・ヴェールフォーフ)
ラディカル・フェミニズム [編集]
1970年代に米国で誕生。家父長制に真っ向から立ち向かい、公的領域のみならず家庭や男女の関係までも含む私的領域に至るまで「人間」という曖昧な概念を問い直す。つまり、「人間」というコトバに潜む男性中心性(あらゆる場面において男性が標準として扱われる事)の見直しを図る。また、女性の性的快楽の解放、強制的異性愛への批判、レズビアンの権利獲得、性的暴力及びポルノグラフィーの糾弾を行う。ラディカル・フェミニストは、フェミニズムは女性を男性中心の社会から解放するための手段と見なす。
* 1970年、『性の政治学』(ケイト・ミレット)
* 1970年、『性の弁証法』(シュラミス・ファイアストーン)
* 1980年、「強制的異性愛とレズビアン存在」(アドリアンヌ・リッチ) - レズビアン・フェミニズム
* 1978年、『女/エコロジー』(メアリ・デイリ) - スピリチュアル・フェミニズムまたはカルチュラル・フェミニズム
* 2003年、『ポルノグラフィと売買春』(キャサリン・A. マッキノン)
ラディカル・フェミニズムをフェミニズム全体を代表するものとして一般化するのは間違いである。リベラル・フェミニズム勢力のように女性が楽しめるような非暴力的なポルノを肯定する勢力もある。ポルノに肯定的なフェミニストである北原みのり氏の著書を参照。
ポスト・フェミニズム(バックラッシュ) [編集]
ポスト・フェミニズムとは第三波のフェミニズムに対する批判として生まれた複数の見解を指す。明確にはアンチ・フェミニズムではないが一波と二波の確立した女性の権利を肯定するとともに三波の立場を総じて批判する集団で構成された。1980年に現れバックラッシュと表現された集団が使い出した言葉である。その論調で代表的なのは20世紀後期にはやったジェンダー理論の攻撃で、ここで注意しなければいけないのは、ここで切り崩されたのはあくまでも「女とはなるもので生まれるものではない」とのアメリカでのジェンダー論である。日本に変更を加えて導入された「男女の性的役割分担の解体反対」という二波のころのアナクロな論争とは無関係であることである。「女は女として生まれるものではない」とのジェンダー論はその基礎となっていた医学的研究成果(例:ジョン・マネー)や人類学研究(マーガレット・ミード)が後にでっち上げであることが発覚しその科学的よりどころを失って崩壊する。その後男女の生理的、脳理学的な性質の違いが医学的に確定され男女の違いが単なる文化的な構成によるものであるとは久しく聞かれない。日本ではこれが男らしさ女らしさという三波の論争と男女の役割分担という二波の論争がゴッチャになるかたちで混乱が生じている。一方で現在でも継続している論争は結果の平等を目指した女性優遇政策の是非でこれは女性の採用・入学の優遇から北欧の国では国会議員の席数の半分を女性に振り分ける法令などから裁判所を通して女性がほとんどの職(看護婦など)の低賃金を強制的に引き上げるなどの政策を指す。これは自由主義、平等主義の原則から遊離するとして批判が大きい。
日本のフェミニズム [編集]
〜日本のフェミニズムは欧米に比べて後発的なものではあるが、現在では、欧米と同じぐらいフェミニズムは進行している。
日本における女性解放運動 [編集]
明治維新からの女性解放政策 [編集]
明治維新からは女性解放政策が打ち出されたが、反発も起こり十年ほどで急速にしぼんでしまう。
推進政策
* 1869年、関所を女性が自由に通行できるようになる。また津田真一郎(津田真道)という刑法官が女子売買の禁止の健白書を政府に提出。
* 1871年、津田梅子ら五人の少女が岩倉使節団で米国へ留学する。
* 1872年、芸妓と娼妓の無条件解放が布告される。(公娼制度は残された)。女学校ができた。
* 1873年、妻からも離婚訴訟が出来るようになる。女子伝習所(女子のための職業訓練所)が開設される。
* 1874年、東京女子師範学校が設立される。
反発政策
* 1885年、第一次伊藤博文内閣の文部大臣森有礼が「良妻賢母教育」こそ国是とすべきであると声明。翌年それに基づく「生徒教導方要項」を全国の女学校と高等女学校に配る。
* 1890年7月公布の「集会及政治結社法」にて女性の政治活動を禁止。女子は政談演説を聴きに行くことも禁じられ、戸外で三人以上集まる時は警察に届けなければならなくなった。
日本初の女性参政権
1878年(明治11年)、区会議員選挙で楠瀬喜多という一人の婦人が、戸主として納税しているのに、女だから選挙権がないことに対し高知県に対して抗議した。しかし県には受け入れてもらえず、喜多は内務省に訴えた。そして1880年(明治13年)9月20日、日本で初めて(戸主に限定されていたが)女性参政権が認められた。その後、隣の小高坂村でも同様の条項が実現した。
この当時、世界で女性参政権を認められていた地域はアメリカ合衆国のワイオミング準州や英領サウスオーストラリアやピトケアン諸島といったごく一部であったので、この動きは女性参政権を実現したものとしては世界で数例目となった。しかし4年後の1884年(明治14年)、日本政府は「区町村会法」を改訂し、規則制定権を区町村会から取り上げたため、町村会議員選挙から女性は排除された。
女性解放運動家の登場 [編集]
平塚雷鳥
政府の反発政策に対して平塚雷鳥ら女性解放運動家が誕生し、政治的要求を正面に掲げた最初の婦人団体である「新婦人協会」もできる。女性に不利な法律の削除運動、女性の参政権獲得運動などがさかんになる。完全な女性参政権の獲得と言う大目標の達成には至らなかったが、女性の集会の自由を阻んでいた治安警察法第5条2項の改正(1922年・大正11)や、女性が弁護士になる事を可能とする、婦人弁護士制度制定(弁護士法改正、1933年・昭和8)等、女性の政治的・社会的権利獲得の面でいくつかの重要な成果をあげた。
* 『青鞜』運動
* 母性保護論争(平塚雷鳥、与謝野晶子、山川菊栄)
第二次世界大戦前から一部では女性の選挙参加も認められており、日本における女性解放がすべて占領後の産物であったわけではない。
* GHQによる男女平等政策
* ウーマンリブ運動
* エコ・フェミ論争
* 1980年代、「女の時代」
マル・フェミ(上野千鶴子ら)
* 「従軍慰安婦」問題
* 男女共同参画社会
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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